はじめに — 「年収半分になるけど、大丈夫?」
妻にスタートアップへの転職を切り出したとき、最初に返ってきた言葉がこれだった。年収1,200万円から600万円への転落。住宅ローンは残り25年。子供は2人。客観的に見れば、正気の沙汰ではなかっただろう。
それでも私は転職を選んだ。そして3年が経った今、一度も後悔していない。この記事では、大企業からスタートアップに転職した実体験を、金銭面・キャリア面・精神面の3つの角度から正直に書く。美化はしない。つらかったことも全部書く。その上で、なぜ後悔していないのかを伝えたい。
第1章:転職前 — 大企業での「快適な不満」
スペック上は恵まれていた
私は新卒で大手通信会社に入社し、12年間勤めた。肩書きは課長。年収は賞与込みで約1,200万円。福利厚生も充実しており、家賃補助、確定拠出年金、カフェテリアプラン。安定という言葉を体現したような待遇だった。
しかし、日曜日の夜になると胃が重くなった。月曜日の朝、満員電車の中で「あと30年、これを続けるのか」と考えると、息が詰まった。仕事内容に不満があったわけではない。人間関係も悪くなかった。ただ、自分の人生を「消化している」感覚があった。
「このままでいいのか」という問い
転機は36歳の時だった。大学時代の同期が起業し、従業員30名の会社を年商10億円まで成長させていた。彼のSNSを見るたびに、「自分も挑戦したい」という気持ちが膨らんだ。しかし同時に、「失敗したらどうする」「家族に迷惑をかけるのでは」という恐怖も大きかった。
最終的に背中を押してくれたのは、ある先輩の言葉だ。「やらない後悔は、やった後悔より大きい。50歳になって『あの時やっておけば』と思うのが一番つらい。」陳腐な言葉だと思うかもしれないが、自分が尊敬する人から直接言われると、重みが違った。
第2章:転職の現実 — 甘くなかった最初の半年
カルチャーショック
転職先は、従業員20名のBtoB SaaSスタートアップ。ポジションは事業開発責任者。初日から衝撃の連続だった。
まず、オフィスがない。フルリモートで、コミュニケーションはSlackとNotionが中心。大企業では対面での根回しが日常だったため、テキストベースのコミュニケーションに慣れるまで1ヶ月かかった。
次に、「誰も教えてくれない」。大企業にはOJTの仕組みがあり、分からないことは先輩に聞けた。スタートアップでは全員が自分の仕事で手一杯で、自走できない人間は即座にお荷物になる。
そして最大のショックは、「自分の市場価値の低さ」を思い知らされたことだ。大企業での12年間で身につけたスキルの大半は、その会社でしか通用しないものだった。社内調整力、稟議書の書き方、社内政治の立ち回り。これらはスタートアップでは何の価値もない。
年収半減のリアル
年収600万円の生活は、想像以上にシビアだった。手取りは月額約38万円。住宅ローンが12万円、保育園が6万円、食費が8万円、光熱費・通信費が3万円。自由に使えるお金は月9万円しかなかった。
外食は月1回に減らした。服はユニクロとGUのみ。趣味のゴルフは完全に封印した。飲み会は「2,000円以内の店のみ参加」というルールを自分に課した。
妻には申し訳なかったが、彼女も覚悟の上で応援してくれた。「3年やってダメなら大企業に戻ればいい。でも、やらないまま歳を取るのは嫌だよね」と言ってくれた時は、本当に救われた。
第3章:転機 — 成長の実感が全てを変えた
大企業の3年分を半年で経験
最初の半年は地獄だったが、振り返ると、その期間の成長は大企業の10年分に匹敵した。事業計画の策定、営業戦略の立案、プロダクトの要件定義、マーケティング施策の実行、採用面接。大企業では部門ごとに分業されていた仕事を、すべて自分でやる。
特に大きかったのは「意思決定の速さ」だ。大企業では稟議に2週間かかっていたことが、Slackで5分で決まる。「やりたい」と言ったことが、翌日には実行できる。この感覚は、一度味わうと二度と手放せない。
目に見える成果
入社8ヶ月目、自分が設計した営業戦略が功を奏し、MRRが前月比40%増を達成した。大企業時代、自分の仕事が会社の売上にどう貢献しているかは見えなかった。スタートアップでは、自分の行動と結果が直結する。この「手触り感」は何物にも代えがたい。
ストックオプションの価値
転職時に付与されたストックオプションについても触れておきたい。入社時は紙切れ同然だったが、会社がシリーズBで30億円の評価額をつけた時点で、概算で約2,000万円の含み益になっていた。もちろんIPOや売却が実現しなければ絵に描いた餅だが、大企業の賞与にはない「アップサイド」が存在する。
第4章:3年後の現在 — 数字で振り返る
年収の推移
転職直後は600万円だった年収は、3年間で以下のように推移した。
- 1年目:600万円(基本給のみ)
- 2年目:750万円(昇給+業績賞与)
- 3年目:950万円(VP昇格+業績賞与)
大企業時代の1,200万円にはまだ届かないが、年間250万円ずつ増加するペースは大企業では考えられない。さらにストックオプションの潜在価値を加味すると、トータルリターンは大企業に残った場合を上回る可能性が高い。
スキルの変化
大企業時代とスタートアップ3年目で、自分のスキルセットがどう変わったかを比較してみよう。
- 大企業時代:社内調整、資料作成、会議運営、稟議プロセス、部下管理(5名)
- スタートアップ3年目:事業戦略、営業設計、プロダクトマネジメント、マーケティング、採用、財務モデリング、チームビルディング(15名)
幅も深さも比較にならない。仮に今の会社が潰れても、これだけのスキルセットがあれば、次の選択肢はいくらでもある。これが本当の意味での「キャリアの安定」だと思う。
第5章:大企業からスタートアップへの転職で知っておくべきこと
向いている人・向いていない人
向いている人
- 「自分で決めて自分で動きたい」という欲求が強い人
- 不確実性をストレスではなくエネルギーに変換できる人
- 新しいことを学ぶのが好きで、素直にフィードバックを受け入れられる人
- 短期的な年収ダウンを許容できる経済的余裕がある人
向いていない人
- 「指示がないと動けない」タイプの人
- 安定した収入と福利厚生が心の安定に直結する人
- 「大企業にいた」というプライドが捨てられない人
- 家族の理解が得られていない人
転職前にやるべき5つのこと
- 生活費の12ヶ月分を貯金する:最悪、会社が潰れても1年は生きられるセーフティネットを確保する
- 家族と徹底的に話し合う:年収が下がること、不安定になること、忙しくなること。全てのデメリットを共有した上で合意を得る
- 副業で小さく試す:いきなり転職するのではなく、副業やプロボノでスタートアップの仕事を体験する
- スタートアップの「ステージ」を理解する:シード期、シリーズA、シリーズB。各ステージで求められる人材は異なる。自分がどのステージにフィットするかを見極める
- 転職先のデューデリジェンスを怠らない:財務状況、経営陣の経歴、競合優位性、既存社員の満足度。入社前に可能な限り情報を集める
おわりに — 「安定」の定義を変えよ
大企業にいることが安定だという時代は終わった。終身雇用は崩壊し、大企業でも早期退職募集が常態化している。真の安定とは、「どこにいっても稼げるスキルを持っていること」だ。
年収半減は確かにきつかった。でも、3年経った今、私は大企業に残った同期よりも多くの選択肢を手にしている。そして何より、日曜日の夜に胃が重くなることがなくなった。月曜日の朝が楽しみですらある。この感覚は、年収では買えない。
もしあなたが大企業にいて、「このままでいいのか」と感じているなら、それは自分の人生を真剣に考えている証拠だ。恐怖は自然な感情だが、恐怖に支配されて動けないまま歳を取ることの方が、よほど怖い。
次回は、起業家が2026年に使うべきノーコードツールを徹底レビューする。Bubble、FlutterFlow、Supabase。どれがどんなユースケースに最適なのか、実際に使って比較した。









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