IPOできない時代が来る? — SPAC解禁で激変するスタートアップの出口戦略

はじめに — IPO市場は本当に変わるのか

2025年、金融庁と東京証券取引所が「新規上場プロセスの見直しに関する研究会」を設置し、日本版SPAC(Special Purpose Acquisition Company、特別買収目的会社)の導入が本格的に議論され始めた。アメリカではすでに2020〜2021年にSPACブームが起き、その後の規制強化を経て制度が成熟しつつある。

日本のスタートアップエコシステムにとって、SPAC解禁はゲームチェンジャーになりうるのか。それとも、アメリカの二の舞になるリスクがあるのか。本記事では、SPACの仕組みから日本市場への適用可能性、そしてスタートアップへの具体的な影響まで、多角的に分析する。

第1章:SPACとは何か — 基本の仕組み

SPACの定義

SPACとは、事業を持たない「空箱」の会社がまず上場し、その後に未上場企業を買収・合併することで、結果的にその未上場企業を上場させるスキームだ。「裏口上場(Reverse Merger)」の進化版とも言える。

通常のIPOプロセスは、証券会社によるデューデリジェンス、有価証券届出書の作成、ロードショー(機関投資家への説明)、ブックビルディング(価格決定)と、12〜18ヶ月の準備期間を要する。一方、SPAC経由の上場は、SPACとの合併交渉だけで済むため、3〜6ヶ月に短縮される。

SPACの関係者

  • スポンサー:SPACを設立・運営する投資家または投資会社。通常、合併後の株式の20%を報酬として受け取る(「プロモーター持分」)
  • SPAC投資家:IPO時にSPACの株式を購入する機関投資家・個人投資家。投資資金は信託口座に預けられ、合併が成立しない場合は返金される
  • ターゲット企業:SPACが買収・合併する未上場企業。合併により上場企業となる

SPACのライフサイクル

  1. SPAC設立・IPO:スポンサーがSPACを設立し、IPOで資金を調達(通常100億〜500億円規模)
  2. ターゲット探索:IPO後18〜24ヶ月以内に、合併先の未上場企業を探す
  3. De-SPAC(合併):ターゲット企業との合併を株主投票で決定。承認されれば、ターゲット企業が上場企業となる
  4. 合併不成立の場合:期限内にターゲットが見つからなければ、SPACは解散し、信託口座の資金は投資家に返還される

第2章:アメリカのSPAC市場から学ぶ教訓

2020-2021年のSPACブーム

アメリカでは2020年に248件、2021年に613件のSPACがIPOを実施した。調達額はそれぞれ約830億ドル、1,620億ドル。ピーク時には、新規IPOの半数以上がSPACだった。

ブームの背景には、コロナ禍での金融緩和、低金利環境、テック株への過熱した投資意欲があった。著名人がスポンサーとなるSPACも続出し、元NBA選手のシャキール・オニールや元下院議長のポール・ライアンまでSPACを立ち上げた。

バブル崩壊と規制強化

しかし、ブームは長く続かなかった。2022年以降、多くのSPACが以下の問題を露呈した。

  • 過大評価:従来のIPOでは証券会社のデューデリジェンスが一定のフィルターとして機能するが、SPACでは交渉ベースで企業価値が決まるため、過大評価されやすい
  • スポンサーのインセンティブ問題:スポンサーは合併を成立させることで20%の株式を得るため、質の低いターゲットでも合併を推進するインセンティブがある
  • 投資家保護の不足:将来予測(プロジェクション)に基づくマーケティングが横行し、実際の業績が大幅に下回るケースが続出

2022年、SEC(米証券取引委員会)はSPAC関連の規制を強化。将来予測のセーフハーバー規定の適用除外、スポンサー持分の開示義務、投資家の償還権の明確化などの措置が取られた。

規制強化後の「新しいSPAC」

規制強化により、SPACの質は明らかに向上した。2024〜2025年のSPAC市場は、件数は減少したものの、合併後の株価パフォーマンスは改善している。「量から質へ」の転換が進み、経験豊富なスポンサーによる厳選されたディールが中心になった。

第3章:日本版SPAC導入の論点

導入推進派の主張

1. IPOのハードルを下げる
日本のIPO準備は、内部統制の整備、監査法人との契約、主幹事証券の選定と、コストと時間が膨大だ。年間IPO件数は100件前後で推移しており、アメリカ(年間200〜300件)と比べて少ない。SPACは、このハードルを大幅に下げる可能性がある。

2. 海外投資家の呼び込み
SPACは国際的に認知されたスキームであり、海外の機関投資家が参加しやすい。日本のIPO市場の国際化に貢献する可能性がある。

3. 大型スタートアップの上場を促進
ユニコーン企業(評価額10億ドル以上)の数で、日本は世界的に見て少ない。SPACを通じて、評価額数百億〜数千億円のスタートアップが上場しやすくなれば、エコシステム全体が活性化する。

慎重派の主張

1. 投資家保護の懸念
日本の個人投資家は、アメリカと比べて投資リテラシーにばらつきが大きい。SPACの仕組みを理解しないまま投資し、損失を被るリスクがある。

2. ガバナンスの問題
日本の上場企業のガバナンスは、近年改善傾向にあるものの、まだ課題が多い。SPACのスポンサーが適切な監督を行えるかどうか、疑問が残る。

3. 既存制度との整合性
日本の会社法、金融商品取引法、上場規則との整合性を取る必要があり、法改正のハードルが高い。特に、SPACの「空箱上場」は、現行の上場基準(事業実績や利益基準)と根本的に矛盾する。

第4章:日本版SPACの設計案

金融庁研究会の方向性

金融庁の研究会では、以下のような日本版SPACの設計が議論されている(2025年時点の公開情報に基づく)。

  • スポンサーの適格要件:一定の投資実績と資産規模を持つ投資家に限定。著名人だからという理由でのスポンサー就任は制限
  • プロモーター持分の上限:アメリカの20%から引き下げ、10〜15%とする案が有力
  • 投資家の償還権:合併に反対の投資家は、信託口座から全額返金を受けられる。これはアメリカと同様
  • De-SPACの審査:東証による合併先企業の実質的な上場審査を義務付け。形骸化した「裏口上場」を防ぐ
  • 将来予測の規制:合併時の企業価値評価において、将来予測に過度に依存することを制限

想定されるスケジュール

法改正が必要なため、最速でも2027年度の制度開始が現実的だ。2026年中に法案の骨子がまとまり、2027年の通常国会で審議・可決。東証の上場規則改正を経て、2027年後半に最初のSPACが上場する可能性がある。

第5章:スタートアップへの具体的な影響

ポジティブな影響

1. EXIT選択肢の多様化
現在、日本のスタートアップのEXIT手段は、IPOかM&Aの二択だ。SPACが加わることで、IPOほど時間をかけず、M&Aほど経営権を失わない「第三の選択肢」が生まれる。

2. バリュエーションの適正化
SPAC経由の上場では、スポンサーとの交渉で企業価値が決まる。これにより、現在の日本のIPO市場で問題視されている「公開価格の低評価(IPOディスカウント)」が解消される可能性がある。日本のIPOでは、初値が公開価格を大幅に上回るケースが多く、これは既存株主(創業者やVC)にとっての機会損失だ。

3. レイター期の資金調達環境の改善
SPACの存在は、レイターステージのVCやグロースエクイティファンドにとっての出口戦略を明確にする。これにより、シリーズC〜D以降の大型資金調達が活性化する可能性がある。

ネガティブな影響・リスク

1. 上場の質の低下
SPACのスポンサーが合併を急ぐあまり、上場準備が不十分な企業が公開市場に出るリスクがある。これは投資家だけでなく、スタートアップ業界全体の信頼を損なう。

2. 既存IPO市場への影響
SPACに適した大型スタートアップが従来のIPOルートを避けるようになると、証券会社の引受業務や、既存の上場審査プロセスが形骸化する可能性がある。

3. 「SPAC上場」の二流イメージ
アメリカでは、SPAC上場企業は従来のIPO企業と比べて「格下」と見なされる傾向がある。日本でも同様のスティグマが生じれば、優良スタートアップはSPACを避けるかもしれない。

第6章:日本のスタートアップは何を準備すべきか

今すぐ始められること

SPAC制度がいつ開始されるかは不確定だが、スタートアップが今から準備できることはある。

  • 財務の透明性を高める:SPAC合併では、ターゲット企業の財務デューデリジェンスが厳格に行われる。監査済み財務諸表の準備、内部統制の整備を早期に開始すべきだ
  • ストーリーの構築:SPACスポンサーに対して、事業の成長ストーリーを説得力ある形でプレゼンテーションできる準備をする。従来のVCピッチとは異なり、公開市場の投資家を意識した「IRストーリー」が求められる
  • ガバナンス体制の構築:社外取締役の招聘、監査委員会の設置、コンプライアンス体制の整備。上場企業に求められるガバナンス水準を、上場前から整えておく

おわりに — SPACは「銀の弾丸」ではない

日本版SPACは、スタートアップエコシステムにとって歓迎すべき制度革新だ。しかし、SPACは手段であって目的ではない。上場そのものが目的化し、上場後の企業価値向上が置き去りにされれば、アメリカの失敗を繰り返すだけだ。

重要なのは、SPACという新しい選択肢を得た上で、自社にとって最適な上場ルートを冷静に判断することだ。従来のIPO、SPAC、M&A、あるいは非公開のまま成長を続けるという選択肢も含めて、経営者は全体像を俯瞰して意思決定すべきだ。

次回の最終記事では、もう一つの重要な政策テーマ——移民政策とスタートアップエコシステムの関係について分析する。海外人材獲得競争で日本は勝てるのか。